教えのやさしい解説

大白法 617号
 
時を知る(ときをしる)
 日蓮大聖人は『教機時国(きょうきじこく)抄』に、
 「仏教を弘(ひろ)めん人は必ず時を知るベし」(御書 二七〇n)
と、宗旨(しゅうし)を決定する上では、まず時を知ることが絶対不可欠であると教示されています。 すなわち時に適(かな)った正しい教えを信仰することが「時を知る」ことです。

 「時」とは
 釈尊は、滅後の仏法流布の時代を正法(しょうぼう)・像法(ぞうほう)・末法(まっぽう)の三時に区切(くぎ)り、そして教法の時代的特性を予言されました。大集経に説かれる「五箇(ごか)の五百歳」という時代区分も、また「三時」と同様、仏法流布の時代的特性を示したものです。
 「五箇の五百歳」とは、釈尊の滅後を五期に区切り、その時々の仏法流通(るつう)のあり方を説明したものをいいます。
 すなわち第一の五百年は「解脱(げだつ)堅固(けんご)」といい、智慧を得て悟りを開く者が多い時代です。
 第二の五百年は「禅定(ぜんじょう)堅固」といい、心を一つに定めて深く思惟(しゆい)する修行が広く行われる時代です。
 以上の一千年間を、仏の教法が正しく伝わる時代という意味から、正法時代といいます。
 この時代は、仏様の指導をきちんとまじめに守って修行する者が多かった時代であり、戒律を守る者が多く、破る者は少なかった時代です。また「堅固」とは「確定している状態」のことです。
 この時代には迦葉(かしょう)・阿難(あなん)等が小乗の法を、また馬鳴(めみょう)菩薩・竜樹(りゅうじゅ)菩薩が権(ごん)大乗の法を弘めて、その時代に適った教えを述べたのです。
 第三の五百年は「読誦多聞(どくじゅたもん)堅固」といい、経典を読誦し、聴聞することが広く行われる時代です。
 第四の五百年は「多造塔寺(たぞうとうじ)堅固」といい、寺院・仏塔の建立が広く行われる時代です。
 以上の一千年間は、教義や修行の形のみが正法時代に像(に)ることから像法時代といいます。
 この時代は、持戒の者より破戒の者が次第に多くなり、また仏法の教えそのものが稀薄(きはく)になり、形式化している時代です。
 この時代には、南岳(なんがく)大師・天台大師・妙楽(みょうらく)大師が中国に出現し、また日本には伝教(でんぎょう)大師が出現して法華経迹門(しゃくもん)を弘められ、その時に適った正義を述べたのです。
 第五の五百年は「闘諍言訟(とうじょうごんしょう)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)」といい、釈尊の仏法が衰(おとろ)え、衆生が互いに争(あらそ)う時代です。これ以降、無知・無行の人のみが充満し、釈尊の仏法が衰微(すいび)して微末(びまつ)となることから末法というのです。
 しかし、この時代には、釈尊より法華経の会座(えざ)において末法の弘通を託(たく)された上行菩薩が、その付嘱された結要(けっちょう)の大法を弘められる時なのです。

 「時」と「機」
 大聖人にとって、この「時」は極めて重要な問題です。すなわち「五綱」のうち、特に「時」に関する判釈(はんじゃく)が、大聖人の宗旨建立の基盤として重要な意義を持っているからです。
 この「時」と「機」の関係について、大聖人は『教機時国抄』に、
 「仏出世したまふて必ず法華経を説かんと欲するに、縦(たと)ひ機(き)有れども時無きが故に四十余年此の経を説きたまはず」(同)
と仰せられ、また『撰時抄』に、
 「機は有りしかども時の来たらざればのべさせ給はず」(同 八三四n)
と、「時」を「機」に優先させることを明確に示されています。
 故に『撰時抄』において、
 「されば機に随って法を説くと申すは大なる僻見(びゃっけん)なり」(同 八四六n)
と決判されているのです。

 「時を知る」とは
 日寛上人は『法華取要抄文段』に、
 「第三に時を知るとは、具(つぶさ)には撰時抄の如し。今、一言を以て之を示さん。末法今時は本門三箇の秘法広宣流布の時なり。当(まさ)に知るべし、今末法に入り小大・権実・顕密共に皆悉(ことごと)く滅尽(めつじん)す」(日寛上人御書文段 五三五n)
と仰せです。すなわち末法とは白法隠没の時であるから小乗・大乗、権教・実教、顕教・密教等、釈尊の説かれた仏法には一切救済の力はなくなるのです。
 この時こそ、法華経に説かれる、
 「後五百歳中。広宣流布」(法華経 五三九n)
の経文どおり、釈尊より末法弘通を付嘱(ふぞく)された上行(じょうぎょう)菩薩が、結要付嘱の大法を弘められる時代なのです。
 では、その結要付嘱の大法とは何かといえば、『三大秘法抄』に、
 「要言(ようげん)の法とは何物ぞや。答ふ、夫釈尊初成道より、四味三教乃至法華経の広開三顕一(こうかいさんけんいち)の席を立ちて、略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)を説かせ給ひし涌出品まで秘せさせ給ひし処の、実相証得(じっそうしょうとく)の当初修行し給ふ処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」(御書 一五九三n)
と、また『法華取要抄』に、
 「日蓮は広略(こうりゃく)を捨てゝ肝要(かんよう)を好む、所謂(いわゆる)上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」
 (同 七三六n)
と仰せのごとく、上行菩薩の再誕(さいたん)たる日蓮大聖人が、付嘱の筋目(すじめ)より説き顕された文底(もんてい)独一本門の三大秘法なのです。
 したがって「時を知る」とは、正法・像法・末法の各時代の違いを知り、今末法の時代は本門の三大秘法が広宣流布すべき時であることを正しく信ずることです。
 本宗僧俗は、本年が六年後の『立正安国論』正義顕揚七百五十年をめざして広布への出発を期する一年目の重要な時であることを深く自覚し、大聖人の仏法こそ末法の貪瞋癡(とんじんち)の三毒に苦しむ一切の民衆を救う大良薬であることを確信して、自行化他の大浄行に励むことが大事です。